[登山 人と交流]
出会ってびっくり
ニュージーランド女性
あなた 岐阜から来たの?
登頂を果たして、山小屋のベッドで休息していた。すると、そこへ同じように登頂を果たした同室のニュージーランド女性が帰ってきた。
彼女と顔を合わせたのはその前の日の夕方のことだ。疲れ果ててベッドに横になっていると、年の頃は40歳ぐらいの白人女性が入ってきた。彼女も雨に降られてびしょ濡れだった。
おいおいこりゃまたまずいぞ、と思ったのは、ドミトリー式の四人部屋で隣のベッドも中国の武漢から来たという若い女性だったから。女性二人に俺一人、なんだか気まずいな、いくら山小屋とはいえ。と思って、まずは声をかけておこう。と思い 、隣のベッドは中国の女性ですよ、それから僕は日本人ですよ。と話しかけた。
登頂後の感激いっぱいの表情で戻ってきた彼女。そこで「ところであなたはどこから来たの」と聞いてみる。「ニュージーランドだよ」「あなたは日本のどこなの」「岐阜だよ」「岐阜なら私は多治見にいたことがあるのよ、10年前ぐらいにそこで英語を教えていたの」
これにはびっくり。まさかボルネオ島の熱帯雨林のそのまた奥の標高3200 mの山中で、「多治見つながり」の ニュージーランド人と出会うとは思ってもみなかった。世界は広いようで案外狭かった。退職したら必ずニュージーランドへ遊びに行くよ、と約束して別れた。
ラパンラタ小屋の食事とサービスは申し分なかった。食事は美味しいしたっぷりあり、トイレは清潔だった。何よりいろんなことにゆとりがあり、ゆったりと過ごすことができた。それは入山者を制限しているからゆえにできることなのだろうと思った。
ベテランカイド トーマスくん
ありがとう
ぼくをキナバルの山頂へ案内してくれたトーマスくんは、小柄で、見たところ30代前半ぐらいのベテラン・ガイドだった。彼と二日間をまるまるともに過ごした。毎日キナバルへ登っている。1日目は山小屋まで 、二日目は山頂に立ち下山する。こんな生活を毎日毎日一年中繰り返している、と話す。
いまキナバルは雨季に入っていて、1日のうち何時間かは必ず雨に降られているようだった。そんなわけで、彼が羨んで言ったのが、ぼくがもう20年も使っているゴアテックス素材の雨具のことだ。彼は毎日山に登り、雨に降られて濡れているけれど、登山客が着ているような雨具は持てないようだった。他のガイドもみんな同じで、防水透湿の機能はない昔ながらの カッパだった。
登山道は彼の仕事場そのもの。すれ違うレンジャー隊員やポーター、ガイドたちと声を交わし合いながら、日々過ごしている。ちょっと意外なのは、携帯電話とスマートフォンを各一台持っていて、山行中も度々かかってくる電話に出て話していた。仕事の電話のようで、登山中の客の安否確認やスケジュールの確認なんだろうと思った。
彼はぼくの前を歩きながら、ぼくの息遣いや足音につねに耳いを澄ましていて、急な登りや危ない場所では、少しでもこちらの呼吸に乱れがあったり足を滑らせる音をさせようものなら、すぐに振り返って「大丈夫?」「 No Problem ?」と声をかけてきた。
彼の日々の最大の仕事は、たぶん山頂でガイド相手の写真を撮ることで、混み合う山頂のところにたどり着くや「スズキ、カメラカメラ、テイカピッチャ」と言って写真を撮ってくれた。安全に登山客を山頂まで導いて、その登頂写真を撮ってやって返すこと。もし万が一にも身の安全を預かった登山客が滑落したりすることがあれば彼は仕事を失うだろうし、彼の仲間たち全体も大きく収入を減らすことになるのだろう。厳しい仕事だ。
この日キナバルの登頂を果たし山小屋へ下山するまでの緩やかな傾斜を歩いている時、周囲の景色を眺めながら彼は至福の時間を味わっているようだった。「家族は大勢いるの?」「そうだ、大勢いる」「息子か娘?」「息子も娘も両方いる 」と誇らしげに。働き盛りで、口数は少ないながら、仕事仲間への心配りの行き届いた、ベテランの山岳ガイドだった。