[登山口]キナバル公園に泊まる
食事もベッドも申し分ない
ただ仕事の疲れでボロボロな俺
コタキナバル市内のホテルに泊まった翌朝。そこからカシミールくんの車に乗って、 キナバル山の登山口へと向かう。海沿いの道を走り、山を越える 幹線道へ入り、やがて道は山道に変わる。熱帯地方にいるとはいえ、山並の風景は日本のそれと似ていると思った。
登山口はキナバル国立自然公園の中にある。到着すると、まず公園本部でカシミールくんが入山手続きをしてくれた。渡された書類が何枚もあり、そこに署名をしてパスポート番号を書く。これでこの山へ登ることを登録されたことになり、翌日の登山ガイドが誰になるのかもここで決まった。現地の人にしかできないような煩雑な手続きだった。全部で2時間ぐらいかかった。
公園内の施設はどれも素晴らしかった。ビュッフェ式レストラン、ビジターセンター、 植物園、ドミトリー式宿舎にロッジ。登山のシステムそのものが、日本とはまるで違うと感じた。キナバル山へは1日に200名の登山客しか入山が許されていなくて、それは外国人旅行者に優先的に割り当てられているから、こうした施設も余裕を持って利用することができるのだった。
そのレストランで、 手続きが完了するまでのあいだ、カシミールくんとふたり、食事と おしゃべりを楽しんだ。とりわけここの食事がわたしは気に入った。焼きそばやチキンが旨かった。これらの施設はホテル会社が運営しているという話で、またマレーシアのホテルは中華系の人たちによる経営が多いそうだから、こうした食事も日本人の口に合うのかもしれぬと思った。
カシミールくんは現在38才だ。物腰が柔らかく、フレンドリー。日本のことがとても好きで、いつか富士山へ行きたいとしきりに話す。夫婦ふたり暮らしと言うけど幸せそうだ。キナバル山へは若いころに計3回登ったことがある。「ぼくは食料品関係の仕事をしているから、年末はいつも忙しくて、この時期に休暇をとるのは生まれてはじめてだよ」と話すと、それは意外だという感じの表情をした。
その夜は、公園内の「ヒルロッジ」に宿泊した。割り当てられたのはダブルベッドの一室で、これを一人で利用することになった。温水シャワーがあり、大型テレビがあり、ちょっとしたホテルなみだった。ただ5日前に仕事の疲れから来た首の痛みがまだ治っていなくて、左足首にも痛みがあり、こんな状態で山の上まで歩いていけるだろうかとまた不安になってきた。そうして、不安なところ不安なところにテーピングを施したので、身体中がテーピングだらけになっていた。
登山一日目 必死でトーマスくんを追う
53歳の俺登れるのか
登山一日目の12月27日の朝。ガイドとの待ち合わせ時間に少し早く、公園本部前をうろうろしていると、声をかけられた。「ミスタースズキですか」。それが登山ガイドのトーマスくんだった。同じツアーを申し込んでいた別の2名がキャンセルしたという話で、ほんとは4名1パーティーとなる予定が、 二人で二日間を過ごすこととなった。幸いなことに、彼は片言の日本語が通じた。
登山口のティンポンゲートまでを車で移動する。そのゲートで入山のチェックを受けて、いよいよ歩き出す。キナバル山への登山ルートは現在この一本しかない。登山道はとても整備が行き届いていて、歩きやすかった。1時間おきぐらいごとに休憩のためのシェルターが設けてあり、そこには水洗トイレも 設置されていた。登山者による渋滞なんてもちろんない。レンジャーも行き来していて、それも安心だった。
登山道は、小刻みに、階段上の登りとトラバースを繰り返した。その傾斜はきつかったので、たちまち心臓が悲鳴をあげた。装備は、いつもの夏山登山の小屋泊まり山行と同じ内容で来た。けれど、ほかの登山者を見ると、軽装備が多かった。わたしがちょっとしんどそうな顔をするのを見て、トーマスくんが心配げに声をかけてくれる。わたしは「大丈夫」と笑って答えたものの、もっと軽い装備でこればよかったと後悔していた。
この日は山小屋まで標高差1700mの登り。トーマスくんについて必死に登っていく。現地人のポーターさんたちは、わたしよりはるかに重い荷を背負って、Tシャツに草履ばきみたいな格好で、はあはあ言いながら追い越してゆく。登山口では快晴だったが、やがて雲のなかに入って身体が濡れ始め、その後本降りの雨となった。標高3000mを超えると呼吸はさらに苦しくなり、ふだんから自転車で鍛えていたつもりが、ぜんぜん通用しないなと自信喪失気味だった。
やがて雨の中に建物が少し見えてきた。ようやく今日の目的地に着いたのかと安堵して、時計を見ると、1700mを四時間半で登り切っていた。このペースは自分の最高記録だった。ラバンラタ小屋へ到着した。びしょびしょになって山小屋へ入り、ホールの椅子に座り込むと、小屋のスタッフの女の子が「 ウェルカムティーです 」と目の前に温かいお茶を差し出してくれた。